『介護は常識が通用しない!』【介護士として10ヶ月働いてみて②】
こんばんは🌓 やっすーです🤵
先日は間隔の空いてしまった2回目投稿でしたが、たくさんの方が読んでコメント貰えて嬉しかったです😸
ありがとうございます\(^-^)/
気分屋な性格なので、頻度はその都度変わりますが、これからもお時間あるときに読んでもらえると嬉しいです!
さて、今日のタイトルは、
『介護は常識が通用しない!』【介護士として10ヶ月働いて②】です👏
タイトルを見て、『介護は常識が通用しない!』とはどういうこと❓と思われたかと思うのですが、
僕が10ヶ月介護士として働いてきたなかでの話を交えながらお伝えできればと思います。
実は、『介護は常識が通用しない!』という言葉は、僕が介護士に転職する前に、父から言われた言葉です。
父は、介護職でお仕事をした経験はありませんが、僕が大学2〜3年生の頃から、実家の隣に住んでいた祖父母に認知症が入り、
お仕事終わりやお休みの日に祖父母の在宅介護をしていたので、介護についての知識や経験もある程度はありました。
この父から言われた『介護は常識が通用しない!』という言葉の意味は、言われた当初はよくわかりませんでした。
確かに介護業界が他の業界と比較しても厳しい現実はよく聞いていました。
低賃金、休みが少ない、人間関係がキツい、肉体労働。色々と大変な点はあるかと思います。
しかし、『常識が通用しない』という話はあまり聞いたことがなかったので、転職する前までは、一体どういうことだろう?と考えていました。
10ヶ月介護士として働いてきての個人的な結論は、『高齢者の認知症』のことだと思っています。
僕の勤める有料老人ホームでは、全ての入居者が要介護1以上の認定を受けていて、
要介護度に応じて、大なり小なりありますが、認知症を抱えられて入居されています。
認知症の症状は、軽い方でいうと、ちょっとした物忘れ程度しかない人もいれば、
重度の方だと、ろくに会話の意思疎通も取れない方もいます。
数時間前に伝えたことを忘れられたり、名前をど忘れされもう一度尋ねられたり、
このくらいの症状であれば、介護に携わらない人たちでも、なんとなくイメージを持てて、
常識が通用する範囲内かと思います。
しかし、認知症の症状は物忘れだけではありません。
精神面での症状もかなり出てきます。
被害妄想、急にカッとなり怒り出す、暴言を吐く、暴力を振るう。様々な症状があります。
僕が施設で体験した『介護は常識が通用しない』と感じたいくつかのエピソードを紹介したいと思います。
会話① Oさんが食事でホールに来られ、声をかける!
やっすー「Oさん、食事に来る前にトイレには行かれましたか?」
Oさん(眉間にしわを寄せて怪訝そうに)「はあ?さっき「行った!」と言ったでしょうが」
やっすー「いいえ、言ってませんよ!別の人に言ったんではないですか?」
Oさん「そうねえ?誰に言ったかいな。」
会話② お部屋巡回中
やっすー「Oさん、お変わりありませんか?」
Oさん「いちいち部屋にこんとって下さい!」
やっすー「お仕事だから記録しないといけないんですよ!」
会話③
インフルエンザワクチンの注射日で、入居者の列を整理中。今日は注射予定のない別の入居者さんが列に近づいてきたので、「自分の注射日と勘違いしてるのかな?」と思い声をかけました。
やっすー「Iさん!どこに行こうとしてるの?」
Iさん「はい?私は湯沸しのポットを取りにいくだけですが?
いけんのですか、もういいです!!」
と急に激怒されてポットも持ち帰らずにお部屋に戻られる。
これはほんの一例で、僕たちが一般的に『常識』だと思っているコミュニケーションが通じないことはよく起きます。
誤解を生んだり、勘違いでいきなり怒られたり、イレギュラーな出来事は日常茶飯事なので、
一つ一つを気にしていたらキリがありません。
僕自身も介護士として最初の2〜3ヶ月は、高齢者とのコミュニケーションにとても戸惑いましたが、これは意外にも半年ほど経つと慣れてきます!
最近では、何か入居者さんとミスコミュニケーションが起きても、軽く受け流したり、
すぐに忘れることを自然と身につけれるようになりました!
今日の投稿でお伝えしたかったのは、「介護は常識が通用しないからヤバイぞ!」とお伝えたしたかったわけではなく(^◇^;)
今すでに介護従事者であられる方、介護に関心を持たれている方、介護に関心もなく、お仕事ですらなくても、今後身内を介護することになられる方もたくさんいるかと思います。
そんな時に『介護は常識が通用しない!』ものだと受け入れておくだけで、
戸惑いなく、健全に認知症のある被介護者と向きあうことが出来ると思い、
僕の体験を伝えさせて頂きました。
今回の投稿では、介護の大変な部分ばかり伝えてしまいましたが、
介護は施設の入居者さんの生活に直接携わることができ、
たくさんの「ありがとう」を言って感謝してもらえるやり甲斐の大きい、楽しいお仕事です
😸
また、大変なことがあるからこそ、それを乗り越え、数ヶ月前に出来なかったことが、できるようになったり、メンタルも強くなれて、自分の成長を肌で感じやすいお仕事であると言えます。
これからも介護の魅力を、日々の体験を通して伝えていくので、、また読んで下さい!
それでは、またの投稿で( ^_^)/~~~
『これぞ介護のやり甲斐!』【介護士として10ヶ月働いてみて①】
こんばんは!やっすーです👨🏫
週1でゆるく投稿すると宣言しておきながら、第2回投稿まで長くなってしまいました^^;
ツイッター、インスタ、フェイスブックと色んなアカウントを運用しているので、
なかなか忙しくて。。。は言い訳なので(笑)
週1投稿!なるべく頑張ります!⤴️
さて、今日のタイトルは、
『これぞ介護のやり甲斐!』
【介護士として10ヶ月働いてみて①】です👏
昨年の12月11日から介護士に転職し、10ヶ月が経過したわけなのですが、
この10ヶ月での介護士として働いてみての気づきやお仕事の魅力を発信したいと思います。
今日はお仕事をした中で、『これぞ介護のやり甲斐!』と感じることができたエピソードを紹介します!
そのエピソードはつい1週間ほど前の話です。
僕の働く施設の入居者にUさんという90を超えるおばあちゃんがいます。
Uさんは今年の6月頃に入居されました。
Uさんは、とても優しいおばあちゃんなのですが、うちの施設に入るのは不本意だったらしく、入居してからすぐに
「息子たちは私のことが邪魔だから預けたんだ」「長生きなんかするもんじゃない、早く死にたい」とネガティヴな発言ばかり繰り返すようになりました。
また、とても寂しがり屋な方で、大した用もないのに、頻繁にナースコールを鳴らされて、
介護士や看護師を呼んだりされて、施設の職員も困っていました。
「もう歳なんで死なせて下さい!」などネガティヴな発言は続き、施設の経営陣からは精神科を受診してはどうか?などの声も出始めました。
そんな状況のおばあちゃんを見て、僕は同じく施設に預けてから精神を病んでしまい、亡くなった祖父を思い出しました。
僕が介護士になった理由は、祖父のような施設で環境の変化に耐えれず病んでしまう人たちを減らしたからでした。
僕はこのおばあちゃんをなんとかしたいと思い、積極的に声かけをして、コミュニケーションを取るようにしました。
まず、とにかく励ましたり、話し相手になることを心掛けました。
会話①
Uさん「私が死んでも誰も悲しまん」
やっすー「そんなことないですよ!僕は悲しいですよ!Uさんの子供さんもお孫さんも悲しまれますよ」
Uさん「あんたには世話になったなあ」
やっすー「いやいや、こっちはこれからもお世話する気まんまんですよ!」
Uさん「あんたは優しいなあ」
会話②
やっすー「Uさん、元気ですか?」
Uさん「元気やない、早う死にたか〜」
やっすー「何を言っとるんですか、150歳まで生きるんでしょ?」
Uさん「150歳!口ではなんぼでも言えるけども!(笑)」
やっすー「Uさんには、日本新記録を更新してもらわんと!」
Uさん「そんなに生きたらあんたが先に死んでしまうわ!(笑)
会話③
やっすー「Uさん!相撲は好きなんですか?」
Uさん「主人がおった時にはよく見てたけど、今はご飯を待つときに少しみるくらいじゃなあ」
やっすー「そうか!それじゃ僕と相撲をやりますか?」
Uさん「ははは、それは難しいなあ、足が立たんからなあ(笑)」
「そんなのあんたが勝つに決まっとるがな(笑)
会話④
Uさんのナースコールが鳴って訪室
やっすー「どうしました〜?」
Uさん「私はもう死にたくなってなあ」
(寂しくて話し相手が欲しい時のコール)
やっすー「そうか、僕と相撲をやりたくてコールしたな?」
Uさん「相撲!?そんなことで呼ぶかいな!(笑)」
「笑い事じゃなかったんやけどな、あんたが面白いこと言うからもうええわ(笑)」
そんな冗談まじりの会話でUさんを笑わせることを心掛けた結果、
少しづつ暗かったUさんも笑顔が増えてきて、食事も入居からしばらく半分も取らない日が続いていたのが、食欲も増してきて、よく食べてくれようになりました。
施設のケアマネージャーにも「よくあの人が相手をしてくれるんよ」と話してくれるようになりました。
そして、本当に介護士を始めてから一番嬉しかった出来事が起きました。
その日はUさんの隣の席に座っている入居者さんの食事介助をしていたのですが、
隣からUさんの「ごちそうさん!」と元気な声が聞こえて振り返ると、
なんと数週間前まで4〜5割しか食べてくれなかったUさんが全て食事を完食してくれていたのです👏
やっすー「全部食べたの!?」
Uさん「ああ、最近はよくお腹が空くようにようになってねえ」
やっすー「すごい!初めてじゃない?」
Uさん「そうじゃなあ。あんたの励ましのおかげかもしれん」
「話し相手ができたからなあ」
本当にその空っぽの綺麗なお皿を見れたときは、Uさんを一生懸命笑わせて励まし続けたかいがあったと思いましたし、何よりこの介護士を続けて良かったと思えた瞬間でした😂
今でもUさんとは仕事の合間に仲良く会話させてもらっていますが、食事もしっかり取るようになり、笑顔の増えたUさんの姿を見れるのがいつも楽しみです。
「祖父のような人を一人でも減らす」と言う僕の介護の目的に少しだけ貢献できた気分でした。
老人ホームは入居者さんにとって人生の最後の場所です。
その最後の暮らしをどれだけ快適に過ごせるのかは僕たち介護士の腕にかかっています。
僕たちの頑張り次第で、入居者さんの最後の暮らしは豊かになりますし、その幸せに直接携われる介護士は何よりもやり甲斐のあるお仕事です!
これからもより施設の入居者さんが笑顔で暮らせるように貢献し続け、
またブログの投稿等でその魅力を発信し続けたと思います。
それでは、今日の投稿はここまで!
また来週( ^_^)/~~~
ブログ再スタート!\(^ω^)/
こんばんは!やっすーです!😉
5月を最後に長らくブログを止めてしまっていましたが、10月を迎える今日から再投稿します👏
再投稿に伴い、ブログ名も変更しております。
「やっすーの介護士日記」始まります👏
ブログを今回初めて読んで下さる方もいると思うので軽く自己紹介と介護士を始めたきっかけを話します。
1997年11月生まれ。岡山県で生まれ、高校卒業まで岡山で育ちます。
やりたい事が見つからず、就職の安定だけを求めて、下関の経済大学に進学。
4年間、部活やアルバイト、ボランティアに打ち込み、就活も多くの会社のインターンシップや選考を受けるも、これといってやりたい仕事は見つからず、
安定だけを求めて、地元の岡山の小売大手に就職を決めます。
介護士を始めたきっかけは、父方の祖父母の話から始まります。
大学卒業後は、就職に伴い地元の岡山に戻りますが、実家の隣の家に住んでいた
父方の祖父母の認知症がいよいよ悪化し、仕事をしながらの在宅介護に限界を感じた父は、
祖父母をサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に預ける決意をします。
しかし、祖父の方が環境の変化が好ましくなかったのか、進んでいた認知症が施設に預けてより悪化。
施設内で暴言を吐いたり、他の入居者さんのお部屋のドアを叩いたり、脱走しようとしたりと問題行動が続き、精神科を受診。
精神科で処方された薬を飲み始めますが、今度は重い副作用が体に合わなかったのか、
肺炎を発症し、入院。
一時は持ち直し退院したものの、施設に戻ってすぐに誤嚥性肺炎を引き起こし、
施設に預けて僅か7ヶ月で祖父を亡くしました。
祖父母を施設に預け、祖父を失くすまで、僕は「介護」をどこか他人事と捉えていました。
中学生の頃に、担任の先生から自分の祖母が亡くなる前に認知症になり、1日行方不明になり、
警察にお世話になったお話を聞いたことがありましたが、
80歳ギリギリまで運転もできていた元気な祖父を見て、「うちは大丈夫だろう」となぜか思っていました。
しかし、「介護」は決して他人事ではありませんでした。
今思えば、僕がもう少し早く「介護」に関心を持てていれば、知識やスキルがあれば、
祖父は今も在命だったかもしれません。
祖父のように施設に預けて、環境の変化に耐えれず、早々に亡くなってしまう、そんな高齢者を一人でも減らしたい。
そんな思いで、今の2社目となる有料老人ホームに昨年12月より転職し働いております。
このブログでは、介護士を始めるきっかけとなった祖父の介護の話や、
働いている施設での話、介護業界でやりたい事、思いなどを皆さんに伝えていければと思います。
また、今月より『KAIGOLEADERS』という介護系コミュニティの運営にも入れて頂くことになりましたので、広報も兼ねて団体での活動についての投稿もしたいと思います。
週1程度でまったり更新できればと思うので、ぜひ呼んで下さい!
では、またの投稿で( ^_^)/~~~