やっすーの介護士日記

介護職1年目の23歳です!日々の介護でのお仕事での気づきや思いを投稿したいと思います。

【KAIGO LEADERS 後期運営を振り返って】

お久しぶりです!(笑)

前回の更新からだいぶ日が空いてしまいました(^^;;

 

2月はコロナ対応による夜勤連チャン、3月は実務者研修とKAIGO LEADERSで4つのイベントの運営をして、バタバタしている間に4月になってましたね!😅

 

KAIGO LEADERSも3月末で後期のチーム体制が終わり、4月は活動アップデートへの準備期間ということで、ひと段落してきましたので、またブログの方も楽しく更新できたらと思います!

 

今日のテーマは『KAIGO LEADERS 後期運営を振り返って』です!👏

 

過去にブログを読んでくれている方はご存知の通り、

僕は昨年の10月よりKAIGO LEADERSの運営チームとして活動をスタート‼︎

KAIGO LEADERSのイベントに参加して、すぐにコミュニティのことが好きになり、

「コミュニティの存在をもっと色んな人に知ってほしい!」

「イベントを通して、介護に関心を持ってくれる人を増やしたい!」

そんな思いで半年間活動を続けてきました!

 

週1回ペースのチームMTG、イベントをもっとより良くしたい一心で、何かを思いついてはメンバーに提案し、企画を見直して、イベント参加人数を増やすために色んなことを試して続けている内にいつの間にか終わっていた半年でした!

 

KAIGO LEADERSの運営として初の半年間を終えて、ここまでの自分に点数を付けるとしたら

70点です!

 

まず、自分の良かったところ!

 

1つ目は、考えすぎず、まず行動してチャレンジし続けれたことです!

僕は、『U29 ひみつきち』のチームメンバーとして、企画をより良くしていくために、

思いついた事を何でもMTGやSlackのやり取りでメンバーに提案しました!

 

それまでテーマ付きの座談会中心だった「ひみつきち」に、

新たな試みとして、「事例検討会」、「テーマフリーの座談会」を導入。

告知文の見直し、Twitterスペースをチームとして行いました!

 

イベントの満足度を上げたり、参加人数を増やしていくためには、とにかく試し続けないとだめだと思い、失敗を恐れず行動し続けられたと思います。

 

2つ目は、SNSでの積極的な発信です。

KAIGO LEADERSの運営メンバーとしての個人目標に「発信力の向上」を掲げていました。

 

宣言通り、Twitter、インスタ、Facebookなどのツールを活用し、ほぼ毎日のように投稿!

KAIGO LEADERSのイベントの告知、実施したイベントの報告、KAIGO LEADERSや介護の魅力の発信に務めました!

 

地道なSNSでの発信を続けた結果、4月5日現在でTwitter1271人、インスタ461人、Facebook364人のフォロワーを獲得することができ、ある程度の発信力をつけることができました!

 

また、インスタのDMからの繋がりでKAIGO LEADERSに興味を持ってもらい、

オンラインコミュニティのSPACEにも参加してくれた方もいました!

 

つぎに、自分の反省し前期に生かすところ!

 

1つ目は、活動の方向性を明確にできていなかったところです。

「ひみつきち」では、とにかく告知文の見直しや、積極的なイベントの発信、新たな企画内容の考案ができたものの、ひみつきちの方向性を最後まで決めきれていませんでした。

ひみつきちは20代限定のイベントですが、「20代で交流するメリットってなんだろう?」

をあまりチームとして考えきれていませんでした。

 

また、ひみつきちのペルソナも明確ではありませんでした。

「どんな人に来て欲しいのか?」「イベント後にどうなって欲しいのか?」

それを決めきれていなかった分、告知し続けてもなかなか参加には繋がりませんでした。

 

2つ目は、メンバー同士の交流を深めきれていなかったことです。

チームメンバーとは週1のMTGで、他チームメンバーとは月1の全体MTGや活動説明会や他イベントのお手伝いなどで顔合わせができていましたが、

話す内容は、MTGや振り返り中心で、活動と離れた趣味やプライベートの話ができる雑談のような時間などをほぼ作れていませんでした。

 

オンラインでしか会えないので難しいとことではありましたが、MTGでは話せないちょっとしたモヤモヤや悩みを打ち明けられる機会があまりなく、メンバー同士でお互いを深く知っていたり、本音をどんどん打ち明けられる関係性までは作れていなかったと個人的には終わってみて思いました。

 

後期の反省を生かして、5月から始まる前期では、どのチームに所属になるかはまだわかりませんが、まず1番に活動チームの方向性、ペルソナを決めること!

運営メンバー同士の親睦を深め、チームを超えた協力できる関係を作るために、

今月から始める「KL運営チームの語らいフクシ🍺」を実施し、ざっくばらんに運営でやりたいことやモヤモヤなどを共有し合える場所を作っていきたいと思います!

 

色んなことがありましたが、本当に楽しく充実したKAIGO LEADERS運営メンバーとして初の半年間でした!

 

前期では、より多くのイベントで参加者を集めて、コミュニティの存在をもっとたくさんの方に知ってもらえるようにチャレンジし続けたいと思います!

 

ここまで投稿を読んでくださりありがとうございました🙌

それではまた次回の投稿で( ^_^)/~~~

【1月の活動の振り返りと2月に向けて】

こんばんは!やっすーです🤵

 

1月も残すところあと1日。

あっという間に1年の最初の1ヶ月が終わろうとしていますね!

歳を重ねるごとに、時の流れが早く感じるようになりますが、

1日1日を大切に生きていこうと思います!💪

 

さて、今日は今月最後の投稿なので、【1月の活動の振り返りと2月に向けて】をテーマに投稿していこうと思います。

 

1年の始まりは、年末からの6連勤の4日目から始まりました!

「正月から仕事はさすがに嫌だな〜(笑)」と思いつつも、

4日からの4連休での岡山帰省を楽しみに、なんとか乗り切りました。

 

年始で職員の人数も少ない中ですが、大きなトラブルなく終えて、3日の夜より地元に帰省。

転職して初めての4連休が始まりました!

 

中学の友達との初詣、高校との友達と食事に行ったり、母方の祖父母の家に遊びにも行けて、

とても充実した時間でした。

1歳になった愛犬のサクラも派手なお出迎えをしてくれて、たくさん遊べて楽しかったです!

 

遅めの正月休みを終えて、7日の夜に福岡へと戻りました。

戻ってすぐにKAIGO LEADERSの運営チームの全体MTGに出席。

 

僕が所属している『U29 ひみつきち』チームの活動報告したり、

別チームの活動報告も聞きました。

普段はあまり会うことのない別チームのメンバーとも顔を合わせながら、

年末までのチーム活動を振り返り、今後どうしていきたいかも考えることができ、

正月明けで鈍っていたモチベが一気に戻った時間でした。

 

2/21に開催される『ひみつきちvol.8』の開催準備に向けて、今月は内容の企画から公開までの準備をチームで協力して行いました。

 

今回のvol.8は、今までのゆるく座談会をしながら横の繋がりを作る『ひみつきち』とは内容をガラッと変えて、【たられば事例検討会】を行います。

 

ゆるく繋がる会だけでなく、真面目な会もやりたいという意見がチームに出て、

10月から企画を練ってきた新しい試みです。

 

イベント公開に向けて、僕の担当はバナー画像作成とTwitter告知文の作成でした。

バナー画像の作成は正直かなり苦手意識を持っていました。

恥ずかしながら、中学の時に1度だけ美術で「2」を評定でとったことがあり、

そのくらいデザインセンスに自信がなかったからです😅

 

バナーの作り方のおおよそを年末最後のMTGで教わり、岡山に帰省中にバナーの下書きを作成。

なれないバナー作りのPC作業にかなり苦戦しました。

 

何度もメンバー内で写真のチョイスやデザインについて、アドバイスやご指導をもらい、

なんとか1月前の公開に間に合うように作成をすることができました。

やり方を優しく教えてくれたメンバーや事務局の方に感謝です😭

 

Twitter告知文の作成では、先輩メンバーと2人で分担して作成を行いました!

 

告知文の作成は、本来なら前回までのvol.7までに使った過去の告知文を参考に作成すればいいのですが、今回は座談会ではなく『たられば事例検討会』で新しい内容になるので、

かなり修正せざるを得ませんでした。

 

細かい言葉の表現などにも気をつけながら、下書きを作成。

他のメンバーからもたくさんフィードバックをもらい、作成に至ることができ、

現在は順調にKAIGO LEADERSの公式アカウントで告知が進んでいます。

 

今月は最初の1発目のチームMTGこそ、全メンバーが揃い、内容の濃い話し合いを行えて順調なスタートを切れたのですが、

年初から猛威を振るっているオミクロン株の影響により、一部メンバーの就業先の施設でコロナ感染者が出て、人が足らなくなったりとハプニングもあり、

かなりメンバーが忙しい状況でした。

 

そんな中でも、Slackのスレッドに告知文やバナー画像に他のメンバーも返信を返してくれたり、事例検討会の内容を練ったりしてくれていました。

 

メンバー全員ができる範囲でやるべきことを行えた結果が、今の『ひみつきちvol.8』の1ヶ月前の早期公開に繋がっているかと思います。

 

まだイベント日まで3週間ほどありますが、ありがたいことに申込者も増えてきています。

これからもお互いをフォローし合いつつ、イベント当日まで準備を続けていければいいなと思っております!

 

チーム外の活動としては、運営チームに入った10月より毎月参加している『KAIGO LEADERS

オンライン活動説明会』に運営として今月も参加してきました!

今回は裏方のチャット担当を務めました。

 

今回は1年の始まりの月ということもあり、参加者がいつもより多く参加してくれました。

参加者の中には、オンラインコミュニティの「SPACE」に翌月から参加してくれたり、

2月のイベントに申し込んでくれる方もいました。

 

今回の活動説明会の司会は、運営チームの中でもベテランで場作りが上手な先輩メンバーが行なっていたのが良い結果に繋がったんだと思いました!

僕もチャット担当をしながら、どんな場作りをしているのかをメモすることができたので、

2月の活動説明会では、もう一度司会に挑戦できたらと思っております。

 

1月は、新しい『ひみつきち』の企画の準備やなれないバナー作り等、することはたくさんありましたが、チーム5人で協力して分担できて、何よりKAIGO LEADRS全体のイベントが少ない月だったので、比較的自分の時間もしっかり作れてゆったりできた月でした。

 

2月は、初旬に全体MTGでKAIGO LEADERS今後の方針を聞く時間や、

運営メンバーの継続確認もその後にあります。

 

2/18、19にはKAIGO LEADRS最大のイベント。『KAIGO LEADERS FORUM2022』の開催。終わるとすぐに『ひみつきちvol.8』が行われます。

 

個人的なことでは、20日より介護福祉士実務者研修』の実習がスタートするので、

毎週日曜日が1日研修で忙しくなりそうです。

 

2月はバタバタな1ヶ月になりそうですが、きちんと休息も取りつつ、

無理のない範囲で頑張っていけたらと思います!

 

それでは、本日はこのあたりで!

また来週お会いしましょう( ^_^)/~~~

 

 

 

 

 

 

【介護士になったきっかけ② 大好きだった祖父の死】

こんばんは!やっすーです!👨‍🔧

 

一度はほぼ収束したかに見えたコロナもオミクロン株の出現で大変なことになっていますね😓

幸い、就業先の施設や自分の身の回りの人で感染者は出ていませんが、引き続き感染対策に務めたと思います。

 

前回の介護士になったきっかけ① 祖父母の認知症と父の苦悩の在宅介護】では、

実家の隣に住んでいた祖父母が認知症になり、月日と共に症状が悪化。

父の仕事と両立しながらの懸命な在宅介護と通院同行も限界を迎え、

祖父母をサービス高齢者向け住宅に預けることになったところまでをお伝えしました。

 

今回の記事では、介護士になったきっかけ②大好きだった祖父の死】について書いていきます。

僕が介護職を続けている原点になっている話です。

ぜひ最後まで読んで頂けると嬉しいです。

 

祖父母がサ高住に引っ越す日。

父が、祖父母が今住んでいる家にいるのが最後の日だということで、

僕を含む家族5人と祖父母2人で、祖父母宅の食卓に集まり、最後の記念写真を撮りました。

 

祖母の方は、サ高住に引っ越すことにあまり抵抗はなさそうで、いつも通りニコニコしていました。(認知症の進みが酷く、あまりよく理解していないのもあったかと思います)

 

祖父の方は、住み慣れた家を離れること、隣に住んでいた僕たち家族(特に祖父の息子である父)と離れることが不安そうでした。

祖父「お前らと別れたらわしは終わりじゃ」「いよいよワシはあの世に逝くんじゃ」

と酷く嘆いていました。

 

家族で写真を撮り終えた後、しばらく祖父母の家の中を1人で散策して周りました。

しばらく歩くと、祖父母が大切に居間に飾っていた、幼稚園で撮った祖父母と弟が一緒に写っている写真と、僕が小学4年の時の時に亡くなった祖父母の愛犬『ロン』の15歳の長寿の記念に撮った写真が目に付き、「あの頃はおじいちゃんもおばあちゃんも元気だったのになあ」と思い、涙が出てしまいました。

 

引っ越しは、父と僕の車2台を使い、祖父母と引っ越しの荷物をサ高住まで無事に送り届けました。

祖父母の引っ越しが終わった翌日、僕自身も新卒で入社した会社の配属先へ務めるために、

実家から1時間ほど離れた社宅へとバタバタしながらも引っ越しました。

 

祖父母はサ高住に引っ越してからすぐに1週間の隔離生活に入りました。

コロナの第1波の真っ只中で、全国に緊急事態宣言が発令されており、

新入居者は感染の疑いがあるので、みんな同じ対応を受けていたそうです。

この時の施設は家族との面会禁止。祖父母とは2ヶ月以上会えませんでした。

 

サ高住に引っ越してからすぐに、祖父は「息子と話したい」と何度も施設の人にお願いし、

父によく電話を掛け続けていました。

電話先で「わしはもうダメなんじゃー」、「早く家に帰りたい」と父に嘆いていたそうです。

きっとそれだけ住み慣れた家から離れるのが辛かったんでしょう。

 

6月に入り、ようやくコロナ第1波が収まり、2人という人数制限付きで面会が解禁されました。

祖父母と6月中旬に引っ越して以来、僕はようやく再開が叶いました。

 

祖母の方は相変わらず認知症の進行で、言動はわけのわからないことを言っていましたが、

穏やかさは変わらず、ニコニコしてよく話し元気そうでした。

 

しかし、祖父の変わり果てた姿にびっくりしました。なんと身体中の至る所が転倒によるアザだらけだったのです。体型もかなりやせ細っていました。

施設の職員さんの話を聞くところによると、祖父は入所してから施設の環境に馴染めず、

「家に帰りたい!」と脱走行為を試みたり、認知症の悪化の影響か、他の入居者の方の部屋を夜中にドンドン叩いたり、職員に暴言を吐いたりしていたとのこと。

 

特に施設からの脱走行為に関しては、施設を出てすぐ先が車通りの多い車道なので、このままだと交通事故で命を落とすリスクもありました。さらに、他の入居者にも迷惑行為をするので施設としては我慢し難いものだったかと思います。

施設の職員さんは、僕が祖父と面会する少し前に、祖父を精神科に連れていき、

精神科から効果が強めの精神薬を処方されたとのこと。

 

効果の強い精神薬のおかげで、祖父の施設での問題行動は減りました。

しかし、重い副作用のせいか、歩行不安定になり、転倒を繰り返してアザだらけになったり、

体もやせ細り弱ってきていたとのことです。

 

面会した日も、祖父は落ち着かないのか、部屋から頻繁に出ては、ふらふらしながら施設内を

徘徊していました。

祖父「ご苦労様です。それでは私は家に帰ります」

「ここがあんたの家じゃがな(苦笑)」と話している会話が今だに頭に残っています。

 

「いっそこのまま祖父母を連れて、家に一時的でも帰らせてあげたい」

そんな思いでした。しかし、コロナ禍で面会するだけでもやっと。一時帰宅は到底認められるような状況ではありません。

 

その日は30分ほどの祖父母との面会を終えて、僕は実家に父と帰りました。

まさかこの日が祖父とまともな会話のできた最後の日になるとは思いもせずに。

 

祖父母との面会から2週間ほど経ち、7月の最初の週くらいだったかと思います。

土日は毎週のように実家に帰っていた僕は、その日も金曜日のお仕事を終えて、

社宅から車で実家に帰宅。

 

いつものように晩御飯を食べている時に、たまたまその日は帰宅が早かった父から

祖父が肺炎で入院したと聞かされました。

 

その時は「入院した」と聞いて、心配こそしましたが、すでに84歳の祖父が何かで入院することは珍しくないことだと思いました。

あまり詳しい症状も聞かず、「いずれ退院して元気になって帰ってくれる」

その時はそう信じて、あまり深く考えていませんでした。

 

しかし、そのわずか1週間後。同じようにその週も実家に帰って、晩御飯を食べていると、

父から祖父の肺炎の症状が思ったより酷く、入院している病院の先生から

「処方されていた精神薬が身体に合っていないようです。尿もろくに出ていない状態。

 あと何日かで容態がいつ急変するかわからないから覚悟しておいて下さい」と言われたと聞かされました。

 

あまりにも突然のことでびっくりしてしまいました。

確かに祖父の認知症は酷く進行していました。しかし、入所前の4月の段階では、身体自体はまだピンピンと歩いて買い物にも行けましたし、食欲もしっかりありました。

 

それが施設に預けて僅か3ヶ月で「命が危ない」と言われたのです。

どうしてこんなにすぐに体が弱るようなことがあるのでしょうか。

予想だにしませんでした。

 

この段階で、祖父は重度の認知症と精神が病んできており、会話はろくにできない状態ながらも、食欲はあり、良くも悪くも大声を出したり暴れたりするだけの体力はあったそうで、

父からは「すぐに病院から危篤の連絡は来ることはないと思う。」

「けど、優斗の仕事中に連絡が来るかもしれないから、その時は上司に上手く伝えるように」と、心の準備をすることを余儀なくされました。

 

僕自身、社会人になって3ヶ月と少しが経過し、ようやくお仕事に慣れ始めた頃でした。

少しお仕事がひと段落した時にやってきた突然の知らせに驚き、涙を堪えるのがやっとでした。

 

そして、この頃から祖父母を預けている施設への怒りの感情も湧いてきました。

「確かに祖父は問題行動が多かったかもしれないけど、お金を払って預けているから何とか面倒を見るのが施設の仕事じゃないのか!」

「精神科に連れて行くまでは良かったが、重い副作用が起きている薬を飲ませ続けたせいで、祖父はこんなことになったのではないか!」

口には誰にも出しませんが、こう思うようになりました。

 

祖父の出来事がきっかけで、僕はこの頃から日本の介護問題に関心を持つようになり、

介護業界への転職活動を始めました。

 

7月の段階で、僕も家族も祖父の死を覚悟していましたが、

祖父は精神科から転院した内科の病院での治療により、1度は持ち直し肺炎が完治。

内科の病院から精神科への病院に戻り、3ヶ月ほどの入院の後に再びサ高住に戻ることができました。

入院先の病院では個室に入院していたのと、施設に比べてて厚い治療を受けれるので、

祖父の体に合わない精神薬をあまり多く飲まなくていいことが大きかったんだと思います。

 

しかし、施設に戻ると他の入居者もたくさんいるので迷惑をかけるわけにもいきません。

再び施設では祖父の体に合わない重い副作用の薬を服用せざるを得ませんでした。

さらに体が弱った祖父は、それから数週間ほどして誤嚥性肺炎を発症。

祖父は再び精神科の病院に入院。

 

そして、11月の上旬。

転職先として、福岡の有料老人ホームに内定が決まり、僕が23歳の誕生日を迎えた次の日に、実家の母から電話が掛かってきました。

「もうおじいちゃんが危ない。いつ亡くなるかわからない。コロナで禁止だったけど1日15分だけ面会できるようになったから、実家に戻ったら病院にお見舞いに行って欲しい」と言われました。

 

重い精神薬の治療により、祖父の体力はいよいよ限界を迎えたのです。

遂にこの日が来てしまったかと思いました。

 

僕は次の日の会社の出勤で、「祖父がいつ亡くなるかわからない状態なので、近いうちに葬儀等でお休みをもらうかもしれません」と上司に報告。

仕事を終えて、次の日から週末だったので実家に帰宅。

土曜日に祖父の入院する病院に面会に行きました。

 

2人の人数制限付きで、わずか15分だけの祖父との面会。

父から事前に聞かされた通り、祖父は変わり果てた姿でした。

ほぼ寝たきり。大きく口を開けていびきをかいているだけ。

以前とは見る影もない程に痩せ細っていました。

 

土曜の1回目での面会の日は、祖父はほとんど反応がなく、

父の呼びかけに一瞬だけ目を開けて、

父の「優斗のことわかる?」に、

祖父「わかります。わかります。」と少し頷いていただけでした。

 

日曜日も父にお願いし、お見舞いに同行。

この日は少し調子が良かった祖父は、僕が入室してしばらくしてすぐに反応してくれました。

「元気かー?」と言い、強く父と僕の手を握ってくれました。

そして、「早く帰ろう!」と訴える祖父。

 

僕のことを最後までちゃんと覚えてくれたことがこの時は本当に嬉しかったです。

だって、孫の中では一番早く生まれたのが僕で、22年間一緒に時を過ごせましたもんね。

 

15分の面会はあっという間に終わりました。気まずそうに僕と父に退室を促す看護師さんの呼びかけがありました。

祖父は僕と父が帰ってしまうのが嫌だったのか、最後に大きな声で何か叫ぼうとしていました。

せめてコロナさえなければ、ずっと側にいたかったです。

覚悟していましたが、この日が生前の祖父との最後のお別れの日でした。

 

最後の面会が終わり、その3日後の深夜4時ごろ。携帯のLINEに父と弟からの着信音に僕は目が覚めました。

不在着信が入った地点で察しました。父に折り返し電話したところ、祖父がつい先ほど亡くなったとの報せでした。

 

僕は早朝に上司に電話を入れて、祖父の訃報と葬儀のために今日から休暇をもらいたいことを連絡。

連絡を終えてすぐに実家へ帰宅。祖父の亡骸と面会しました。

 

最後まで苦しく何か叫んでいたのか、目を大きく開き、口も開いたまま。

きっと最後まで家に帰ることを望んでいたんだと思います…

僕は心の中で「おじいちゃん、おかえり」と伝えました。

 

「最後まで何もしてあげられなかった…」。悔しさと悲しみがひしひしと込み上げて来ました。ただ泣くしかありませんでした。

 

しばらくすると、僕の叔父である父の兄も祖父の亡骸に会いに実家を訪れてくれました。

父は叔父に、祖父が10月に誤嚥性肺炎で再入院した際にサ高住の施設から

「うちではこれ以上預かるのは厳しいです」と断られていたことを涙声で話していました。

父が初めて泣いている姿を見ました。

「お父さんが1番辛かったよね…ごめんね。」と僕は心の中で言いました。

でも、祖父のことで父が泣いた姿を見たのはその1度きりでした。

 

祖父の葬儀は、コロナ禍への配慮と父の意向により、近しい親族のみで執り行い、

祖父を天国へと送り出しました。

 

僕が写真写りが悪いのは、祖父に似たからでしょうか?

普段はニコニコしていることの多い穏やかな祖父でしたが、

なぜか写真の時だけ笑わない人で、遺影を選ぶのに家族が困っていたことを今でも覚えています。

 

祖父は焼き場で遺骨となり、祖父の生前の念願だった家に帰ってきました。

祖父の長い認知症との闘病生活、父の必死の通院生活が終わりを迎えたのです。

 

実の父を亡くした僕の父は少し寂しそうでしたが、

それ以上に祖父を送り出せてホッとしているようにも見えました。

 

僕は祖父の葬儀を終え、週明けから仕事に復帰。

転職のため、11月末での退職が決まっていたので、急いで引き継ぎや、担当していたお客さんや配属先への挨拶回りを行いました。

 

最後の出勤を終え、社宅を引き払い、実家に一時的に滞在。

新卒1年目での転職だったので、有休が10日間しか取得できなかったので、

バタバタしながら福岡へと引っ越しました。

そして、僕の福岡での介護士として第2の人生がスタートしたのです。

 

祖父を亡くして、1年と少し経ちました。

もちろん今でも、祖父が亡くなるまで力になれなかった自分への悔しさや悲しさは消えません。

祖父の亡骸に対面した瞬間を思い出せば、否応がでも自分が介護職として働く意味を思い出します。

 

「祖父のように施設の環境に馴染めず、精神を病んでしまい亡くなる人を1人でも減らしたい!」その思いでいつも働いています。

この出来事の影響か、施設の入居者の中でも「早く死にたい!」「生きるのが辛い!」

とマイナスな発言が目立ち、メンタルが弱くなりそうな方には、

特に声かけをして、励まして、必ず1人にしないように意識しています。

 

亡くなった祖父は、僕がどれだけ今の介護をお仕事を頑張っても戻っては来ません。

僕が今できることは、目の前の入居者さんに精一杯向き合い、幸せに最後の時間を施設で過ごしてもらえるように努力するだけです。

 

きっとそれが亡くなった祖父への僕からの最大の恩返しだから、

僕は介護職として今も頑張って続けられるし、介護を楽しく仕事としてできているのかもしれません。

 

これを読んで下さった読者さんの中にも、大切な家族いると思います。

どうか大切な人との今のかけがえのない時間を大事に過ごして下さい。

どれだけ元気でいても、人はいつ亡くなるのか誰にもわからないことなので。

 

今日は書きたいことが溢れて長くなってしまいましたが、これが僕の【介護士になったきっかけ】のエピソードです。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

引き続き、今年の目標である毎週投稿を続けていきますので、

次回もお楽しみにして下さい!

それではまた来週( ^_^)/~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【介護士になったきっかけ① 祖父母の認知症と父の苦悩の在宅介護】

今でこそ、「介護をずっと続けたい!」と思うくらい楽しく働いたり、

介護系コミュニティの『KAIGO LEADERS』でも運営メンバーとして精力的に活動していますが、元から「介護」大好き人間だったわけではありません。

 

むしろ、その逆で大学生の時は「介護」「か」の字も頭になく、新卒の就活の時は

「介護だけは絶対にしたくない!」と思うような人間でした。

 

「安月給!」「汚れ仕事!」「キツい!」

と言った世間一般の「介護」への風評被害をもろに信じていた1人でした。

 

そんな僕でしたが、新卒わずか9ヶ月しか働いていない地元の大手小売業を退職し、

転職先に選んだのが「介護」でした!

今回は僕が介護士になったきっかけを話します。

今日は【祖父母の認知症と父の苦悩の在宅介護】の話を紹介します。

 

タイトル通り、今回は少し重めの話を書きます。この出来事は今でも思い出すと涙が出ることもあり、相当の勇気が入りましたが、

僕がいつも心に秘めたモヤモヤをアウトプットして整理したい。

そして、この僕の体験が、読者の方の遅かれ早かれ体験するであろう「介護」に役立つ日が来ると思い、これを投稿します。

 

祖父の認知症が始まったのは大学2年生の夏頃のこと。実家にお盆休みで帰省した際に、

父から実家の隣に家のある、父方の祖父が軽度の認知症、祖母も認知症認知症でないかの瀬戸際との診断が出たと聞かされました。

僕はこの頃、「介護」について全く無知でした。認知症はテレビではよく聞く言葉でしたが、意味をよくわかっておらず、調べる気もありませんでした。

 

祖父が認知症になった時に初めてその言葉の意味をちゃんと理解し、

それが人間の老化症状の1つであり、脳の老化なので治らないことを知ります。

 

ただ、その頃は祖父も祖母も会いに言って話しても、少し物忘れが進んだかな?と思うくらいで、あまり気にも留めていませんでした。認知症がこんなにも恐ろしいものとは思いもしなかったです。

 

祖父の認知症は少しづつ悪化していきました。認知症の薬は飲んでいましたが、

あまり効いているようには見えませんでした。

認知症と診断されてから1年ほど経った頃、再び実家に帰省した時に、

父から認知症の悪化でおじいちゃんの車を取り上げた!」

と聞かされます。

 

父が祖父を連れて病院を受診した際に、担当医に祖父が

「亡くなったお母さんが自分を呼んでいる。この前は車で1日中探しに行った!」

と話したことがきっかけです。

幻覚症状のようなものが出ている?と担当医は判断したのか、父に

「お祖父さんの免許を取り上げて下さい!」

と進言。

 

ちょうどこの時期から、認知症の高齢者による重大事故がテレビに取り上げられ出した頃でした。

父は担当医の進言に従い、嫌がる祖父をなんとか説得し、祖父の車の鍵を取り上げ、

免許を返納させました。

 

この判断はその時も今も正しかったと思います。現にこの地点で、祖父の認知症はかなり進んいましたし、あのまま運転し続けたら、下手をすればテレビで取り上げられるような重大な事故が起きていたかもしれません。

 

祖父から車と免許を取り上げ、そのリスクはなくなりました。

しかし、それから祖父は仕事もとうに引退し、老後生活の楽しみの1つだった「ドライブ」を奪われ、「わしは寂しくてなあ」

と辛そうに言うようになり、少しづつ元気を失っていきます。

 

祖父と一緒に住んでいる祖母も祖父の後を追うように認知症が進んでいきました。

また、元から腰が曲がりがちで体があまり強くなかった祖母は、歩行も困難になっていきます。

 

父の仕事と両立しながらの在宅介護も本格的に始まったのがこの頃かと思います。

仕事終わりでヘトヘトにも関わらず、毎日のように夜は祖父母の家にいき、

祖母のトイレやおむつ対応、祖父の自分の認知症による悩みを聞いてやっていました。

 

僕は大学3年生の終わり頃から地元での就職に備え、実家に一時的に戻っていました。

なので、この父の仕事と両立しながらの在宅介護の苦労は知っていました。

 

しかし、就活に専念していていることや、介護の知識やスキルが何もないという理由もありましたが、「父がなんとかしてくれるだろう」

と父任せの考えを持っていた自分もいました。

一番辛かったであろうこの時期に、祖父母の在宅介護に力になれなかったことが今でも後悔しています。

 

父の必死の在宅介護もありながら、祖父母の認知症の悪化は一層進んでいきます。

特に祖父は車を取られ、生活範囲を縛られ楽しみを失ったことや、認知症の悪化でますます頭が働かなくなる自分を情けなく思い、精神も少しづつ病んでいきます。

 

口癖のように

「わしはもうダメなんじゃー」

と言うようになり、父が仕事から帰り家に帰宅すると、なんども家に訪問し、父に泣くようにすがるようになり、

しまいには夜中に、家族全員が就寝中にも関わらず、チャイムを鳴らして訪問するようになりました。

優しくて我慢強い父でも、仕事をしながら、祖父母の在宅介護、通院、そして認知症の悪化と精神を病む祖父への対応。こんな日が続けば誰でもいつかは限界がきます。

 

僕が大学での一人暮らしを終え、実家へと戻った2月ごろ。

父は母にも相談し、祖父母を有料老人ホームに預けることを決断。

 

車で20分ほど離れたサービス付き高齢者向け住宅に祖父母を4月から預けることが決まりました。

ようやく実家に戻れた僕としては、祖父母とようやく残された少ない時間を一緒に過ごせると思っていただけに、ショックでした。

 

しかし、父が在宅介護をするにも限界なこと、祖父母の認知症の悪化が酷く、

とても2人でこれ以上住める状態ではありませんでした。

 

生まれた時から同じ敷地で、隣に家があり、毎日会えて遊んで、育ててもらった。

そんな当たり前の存在だった祖父母がいなくなる。

この現実をなんとか受け入れるしかありませんでした。

 

施設に預ける直前に、祖父が自宅から徒歩数分のスーパーから家に帰れなくなり、

お店の人に保護されるというハプニングが2度発生するなど、色々ありつつも、

4月中旬ごろ、祖父母は住み慣れた家を後にし、サ高住へと引っ越しました。

 

この時は、寂しいと同時に少しほっとしていました。

父が在宅介護の苦しみから解放されるのと、祖父母を安全な場所で預けて、かつ24時間介護を受けられる状態になるからです。

 

介護施設にさえ預ければ、しばらく安心だろう。僕の甘すぎる期待は、

この後すぐに裏切られることになろうとはこの時は思いもしませんでした。

 

さて、介護士になったきっかけ①】のお話はここまでです。

本当は1記事で読み切りで書く予定が2つに分けないと終わらせれないくらい、

書きたいこといっぱい溜まってたみたいです😭

 

続きは、近日投稿予定の介護士になったきっかけ②】でお話します。

ここまで読んでくださった方ありがとうございました!

 

それでは、また次回👋

 

 

 

 

 

 

 

 

【2022年の抱負! 継続と発展の1年】

あけましておめでとうございます🎍

今年もどうぞよろしくお願いします!

 

やっすーの年末年始はがっつり老人ホームで6連勤でした!

介護職は基本的に年末年始休みはありません(笑)

 

正月も明けてしまいましたが、4日より4連休をとって地元の岡山に帰省しております。

遅めの正月休みを楽しみつつ、のんびりして過ごしております。

 

さて、今日は新年ブログ1発目ということで、テーマは

「2022年の抱負」について書いていこうと思います。

 

昨年は、介護士に転職し、福岡に引越し、1年の前半をコーチングのビジネスに費やし、

後半は介護系コミュニティの『KAIGOLEADERS』で運営チームとして活動しました・

「チャレンジの1年」が昨年でした。

とにかく色んなことに飛び込み、チャレンジした末に、ようやく「介護」の道1本に挑戦し、

『KAIGOLEADERS』という自分のやりたいことができる環境を見つけることができました。

 

今年は「継続と発展の1年」にしたいと思います。

何を継続と発展していくかというと「介護」のお仕事と『KAIGOLEADERS』の運営活動です。

 

「介護」のお仕事での目標

 

・実務者研修を5月末に無事修了

 

・喀痰吸引等研修を年内に修了

 

・入居者さんが快適に楽しく過ごせるようなケアを工夫して実行

 

 

介護に転職して1年が経過し、始めは右も左もわからないような状況でしたが、

1年続けて、一通りのお仕事内容を覚えて、認知症のある入居者さんとのコミュニケーションについても理解が進んできました。介護の仕事の基礎を覚えた1年だったと思います。

 

今年は2年目。学んだ基礎を生かし、発展していく年です。

お仕事を正確に素早くしていくことももちろんですが、1年目の時は目の前のお仕事に集中するのがやっとだったので、1人1人の入居者さんに合ったケアをしていくことを意識して、

工夫していき、入居者さんがもっと楽しく快適に生活できる介護をしていきたいと思います。

 

資格の取得についても今年は積極的に動いていきたいと考えております。

転職した今の施設では、最低3年。介護福祉士の取得までは働きたいと考えております。

介護福祉士の取得に向けて、昨年の12月初めより、介護福祉士実務者研修を受講しております。

 

恥ずかしながら、勢いのまま介護業界に無資格・未経験で飛び込んだので、

介護の知識はまだまだ無知に近い状態です。テキストが家に届き、自宅学習を始めていますが、知らないことばかりで戸惑いつつも学習を進めているところです。

 

2月からは実技の実習も始まります。今まで、移乗介助や食事介助、トイレ誘導など、

とにかく先輩職員の見よう見真似でしてくるばかりだったので、

ちゃんとして実技研修を受けれるのは初めてです。

 

腰を痛めない介助、入居者の自立を支援する介助などを学んでこようと思います。

順調にいけば、5月末には実務者研修を修了できます。

 

実務者研修が終了後も介護には色々な資格があるので、年内に喀痰吸引等研修も修了できるように動いていきたいと思います。

 

『KAIGOLEADERS』の運営活動での目標

 

・『U29 ひみつきち』のイベント集客目標15人を最低1回達成

 →「やっすーのブログ見て参加しました!」という人を最低1人作る

 

・『KAIGO LEADERS 活動説明会』で活動説明を任されるようになる

 →活動説明を任されるようになるまで、活動説明会の運営に毎月参加する

 

・『KAIGO LEADERS 活動説明会』福岡でリアル開催復活

 →参加率の低い九州勢の参加を増やす。福岡での拠点作りに繋げる

 

昨年の10月から3ヶ月間、所属チームの『U29』の活動だけに関わらず、色んなイベントの運営に携わらせて頂き、KAIGO LEADERSについてかなり知ることができました。

 

今月から4ヶ月目。後期運営体制も折り返しに突入します。

3ヶ月で自分なりに気づいたこと、改善したほうがいいこと、次に生かせると思ったことを

実践していく年にしていきたいと思います。

 

まずは、所属チームの『U29 ひみつきち』のイベント集客目標15人を達成目指します。

 

コロナの影響でオンライン開催していることもあり、集客が難しいところではありますが、

チーム内で集客の仕方の見直しを行ったり、告知文を変えて見たり、Twitterのスペース活用など、色々と試行錯誤していきたいと思います。

 

個人のSNSでの告知もより力を入れたいと思います。

ブログに関しては、今年から本格スタートします。

「やっすーのブログを見てイベントに参加しました!」という方を1人でも作りたいです。

 

2つ目に、『KAIGO LEADERS活動説明会』で活動説明を任されることを目指します。

 

僕は運営チームに入った10月から毎月活動説明会の運営に参加しています。

それは、『KAIGO LEADERS』という介護系コミュニティは、介護職だけでなく全ての福祉職にとって貴重であり必要な場であると思うからです。

仕事の激務さや人間関係の悩みなどで、介護・福祉業界は特に厳しい業界だと言われています。厳しい業界だからこそ、お仕事での悩みや不安などを聞いてもらったり、やりたいことを応援してもらえる環境が必要だと思います。

 

そんな介護・福祉職が交流し、切磋琢磨しながら学び合える場を提供している『KAIGO LEADER』の活動をもっと広めたいということで、説明担当を任されるまで毎月活動説明会に参加します。

 

3つ目に、『KAIGO LEADERS活動説明会』を福岡でリアル開催を目指します。

オンラインでイベント活動中ということもあり、全国から参加者がいるコミュニティですが、

なぜか福岡の参加人数が少なくとても寂しいです。

 

福岡に限らず、九州全体の参加者が少ないので、東京や大阪など大都会に負けないくらい介護業界を盛り上げるためにも、コロナの状況や運営事務局の方針次第ですが、

福岡でリアル開催を目指したいと個人的には思っています。

欲を言えば、僕が福岡にいる間に拠点が欲しいとも思っています。

 

以上が、「継続と発展の1年」にするための「介護」のお仕事と、『KAIGO LEADERS』での運営活動目標です。

 

この目標を達成することをモチベーションにして、本業も運営活動も頑張りたいと思います。

 

そして、今年はブログも本格スタートして力を入れる!ということで、

「ブログ投稿を毎週1記事投稿する!」ことを宣言します。

 

ブログに力を今年入れるのは、「アウトプット」の場を自分に設けるためです。

昨年は、勢いのままとにかくチャレンジしましたが、振り返りやモヤモヤをアウトプットする場を作ってこず、モチベのダウンやチャレンジ中の息切れを起こしていました。

 

今年はしっかり行動してチャレンジことを継続しますが、一旦立ち止まり、振り返り、

アウトプットをして頭を整理する時間も大切にしたいと思います。

 

最後になりますが、自分が楽しくないと続かないので、遊びも息抜きもしっかりしながら楽しい1年にしたいと思いますので、今年もどうぞ1年よろしくお願いします!

 

それでは、また来週の投稿で会いましょう( ^_^)/~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年の振り返り【後編】KAIGO LEADERSとの出会い

こんばんは!⭐️

 

前回の投稿から2021年の振り返りを【前編】【後編】に分けて書かせてもらっています。

 

2021年の【前編】では、ビジネスでチャレンジしたコーチング」で、念入りに準備してひたすら行動して努力したにも関わらず、クライアントを1人も獲得できず大きな挫折を味わいました。

 

コーチング」の夢は、ここで燃え尽き、本業で働いていた「介護」の道1本に絞り生きていくことに決めました。

「介護」の道1本に決めて生きていく!

そう決めたは良いものの、時は2021年の8月中旬。2021年も半分を過ぎていました。

 

コーチング」のチャレンジで1年の半分以上を使い切り、すでに心と体は疲れ切っていました。

「このまま今年は何もせずにゆっくり休んで、来年から頑張るか…」

そんな思いもありました。

 

しかし、それ以上に

いや、このまま挫折しただけで終わった1年で終わってなるものか!」

というチャレンジ精神の方が上回りました!

 

コーチング」のチャレンジを終えてすぐに、僕は本業以外に介護業界全体に貢献できるようなことをしたいと思い、介護系のイベントやコミュニティを探しました。

 

そして探している中で、「ここなら自分のしたいことができるかも!」と出会ったのが

『KAIGO LEADERS』でした。

 

『KAIGO LEADERS』のことは実は名前だけ聞いたことがありました!

福岡に引っ越したばかりの時に、たまたま発起人の秋本可愛さんがTVに出ているのを観たことがあったんです。

 

TVで初めて観た時は、まだ介護を始めてまもなかったので、とても参加する余裕はありませんでしたが、

若手が少ないと言われる介護業界で、自分と同じく若いメンバーが中心となり活動しているのがとても魅力だと思っていました。

 

そして、再びこのベストタイミングで『KAIGO LEADERS』と出会いました。

 

ホームページを見てすぐに、『KAIGO LEADER』が運営するオンラインコミュニティの『SPACE』に申し込みました。

また、すぐに参加できるイベントはないかな?と探すと、

『U29限定!ひみつきち』という29歳以下の介護・福祉職が集まる交流イベントがちょうど開催間近で、「このイベントなら年齢近い人ばかりで話やすいかも!」と思い、即申し込み参加!

 

イベントに参加した当日は、自分の職場に同じ20代が1人しかいなかった僕にとっては、

「こんなに志高い20代福祉職が全国にはいるんだ!」

と感激したことを覚えています。

 

『ひみつきち』の参加だけに満足せず、次はKAIGO LEADERSのMY PROJECTという3ヶ月連続のワークショップに興味を持ち、体験イベント&トークイベントにも参加しました。

 

10月スタートのマイプロ23期にはシフトの都合上参加できませんでしたが、

体験イベントでは、将来介護職としてやりたいことをシェアしたり、トークイベントではマイプロに実際に参加して起業された方のお話も聞けて、頭の中の整理や今後の視野が一気に広がる機会でした。

 

9月に入り、オンラインコミュニティの「SPACE」に参加!

そこで翌月の10月からKAIGO LEADERSの運営チームの募集が始まることを知ります。

 

「SPACE」に入会する前から、運営チームにはすでに興味を持っていたので、

いずれ自分も運営に入りたいと思っていましたが、募集のタイミングが自分が思っていたより

早くて戸惑いました。

 

「SPACE」にはまだ参加したてだし、介護経験は1年にも満たない。

「このタイミングで申し込んで選考に受かるのだろうか?」

「受かっても役に立てるだろうか?」

と不安でした。

 

それに1年の前半に「コーチング」のビジネスにチャレンジしたばかりで、

「休みなく1年ぶっ通しでチャレンジして大丈夫か?」

「また途中で息切れするんじゃないか?」

とも思いました。

 

しかし、

「このまま挫折の1年で終わってたまるか!」

という強い思いで、KAIGO LEADERSと出会い、『SPACE』にも参加したわけです。

 

この機会を逃すと、次の運営チームの募集は半年後なので、そんなにも待てません!

「選考受けるだけならタダだし、受けてみよう!!」

と思い、勢いで応募フォームを送信!

9月中にKAIGO LEADERSの事務局の方から個別で選考面談を受けさせてもらいました。

 

メンバー募集の定員8名に対して、今回は14名ほどの申し込みが来たことも知り、

「倍率思ったより高いぞ!落ちたかな…」

と、とても心配でドキドキしながら合否を待っていましたが、9月下旬頃には無事に選考合格のメールが届き、

晴れて10月から運営チームのメンバーになれました。

所属チームは、初めて参加したイベントの『U29!ひみつきち』に決まりました。

 

10月から運営チーム所属後は、KAIGO LEADERSの活動をどんどん広めたいと思い、

SNS活動も開始。TwitterFacebookInstagramで介護・福祉職で働く方中心にフォローを進めると同時に、ほぼ毎日のように、KAIGO LEADERSのイベント告知やイベントの様子、

自分の介護への思い、お仕事への気づきを発信していきました。

 

『ひみつきち』では、10月中旬にすぐに開催されたvol.6で運営デビュー。

裏方のチャットを担当しました。

チームMTGでは、新人だからと遠慮ばかりせず、積極的に意見や問いかけを行いました。

幸いチームメンバーは全員優しい人たちで、しっかりと自分の意見を聞いたり、すぐに取り入れてくれるので、とても活動がしやすかったです。

また、チーム外ではKAIGO LEADERSのオンライン活動説明会にもテクニカル担当として参加し、スキルアップと運営経験向上に努めました。

 

11月は少しづつチーム活動の中で重要な役割も任されるようになりました。

『ひみつきちvol.7』のPeatix &Twitter告知文作成。

チーム外では、活動説明会2回目参加で初ファシリを担当。

『全国介護事業所オンラインツアーvol.3』では文字起こしを担当。

最後のスクショの機会では、操作がよくわかっておらず、発起人の秋本さに役割を変わってもらうという悔しい失敗をしてしまいましたが、

恥をかいたことで、ZOOMでのスクショの仕方を後日学び覚えることができました。

 

12月は、準備し続けた『ひみつきちvol.8』のファシリを担当。

地道にフォロワーを増やし、育て続けたSNSで告知を頑張り、集客目標人数の15名達成を目指しました。

 

しかし、奮闘むなしく当日のイベントの参加者はMAXで5名でした。

リピーターの方の参加もあったり、イベント自体はアイスブレイクのゲームで盛り上がったり、テーマフリーのゆるっとした雰囲気の座談会で楽しく進んだという良い点もあった反面、

個人的には目標人数に大きく到達しなかった悔しさの残る会でした。

 

チーム外でも、『PREZENT28』の運営のお手伝いや活動説明会にも3ヶ月連続で参加しました。

ただ、活動説明会に関しては告知が遅めだったこともあり、当日参加は1名でした。

参加者の方がとても熱心に話を聞いてくれる姿を見て、とても嬉しい会ではありました。

しかし、告知を頑張り続けていたにも関わらず、参加人数が伸び悩んだことや

運営に参加して勢いのまま活動し続けた疲れもあり、少しモチベーションが低下してしまいました。

 

「どうやったらもっと参加者が来てくれるだろう?」

「もっと楽しい雰囲気の会にするにはどうしたらいいだろう?」

と悩む日々がしばらく続きました。

 

そこで原点にもう一度振り返ることにしました。

「自分は何のためにKAIGO LEADERSの運営に入ったのだろう?」

と自分に問いかけました。

 

すると自分から返って来た答えは、

「何か職場以外で介護業界に貢献したかった!」

「このまま挫折の1年で終わらせたくなかった!」

「サ高住に預けて精神を病ませてしまい、無念にも亡くしたお爺ちゃんのために頑張りたかった!」

でした。

 

活動の原点に立ち返った時に、自分のモチベが下がっていたのは、

集客など人数のことやイベントの質ばかりに囚われて、原点を忘れかけていたことに気づかされました。

 

「まだ運営に入ったばかりだし、上手くいかないのは当たり前!」

「自分がKAIGO LEADERSでできることはまだまだたくさんある!」

「そして、何より僕自身が楽しく活動しなちゃダメじゃん!」

と考えていくとモチベが少しづつ戻っていきました。

 

2021年の【後編】でチャレンジし始め、頑張って活動しているKAIGO LEADERSの運営も3ヶ月が経過し、少しづつ活動の全体の流れもわかってきました!

 

2022年の目標としては、所属チームの「ひみつきち」の集客目標人数達成はもちろんですが、チーム外でも毎月参加している、活動説明会を福岡でリアル開催したい。

欲を言えば、チームも作って「介護カフェ?」みたいなまったり介護・福祉職が集まれる交流会も開きたいという思いも芽生えています。

 

オミクロン株の登場により、再び厳しい情勢が予想されますが、参加の少ない九州にもKAIGO LEADERSの活動を広めるためにもぜひチャレンジしたいです。

 

以上が2021年の振り返り【後編】でした。

【前編】に比べてかなり長くなってしまいましたが、最後まで読んで下さりありがとうございます!

 

2021年はチャレンジの年で、たくさんの失敗をし、そこから学びを得ました!

2022年もこれに懲りず、たくさんのチャレンジをして、成長し、自分のやりたいことを精一杯やって楽しめる1年にしたいと思います!

 

来年からはブログも本格運用していきますので、どうぞよろしくお願いします!

それでは、皆さん良いお年をお迎えください( ^_^)/~~~

 

 

 

 

 

 

 

2021年の振り返り【前編】

こんばんは☺️

 

約2ヶ月ぶり?のブログ更新です!(笑)

 

「週1で更新する!」と言いながら、仕事やらKAIGO LEADERSの活動やら忙しさを言い訳に全く更新してませんでした^^;

 

ようやくKAIGO LEADERSの年内活動も終わり、時間が出来たので、1年の振り返りもかねて再開です!

 

今回のテーマは「2021年の振り返り」です👏

 

今年も自分にとっては激動の1年だったので、1回の投稿では収まりきれない…と思い、

【前編】【後編】の2つに分けて投稿したいと思います。

 

今回は【前編】です!

主に1月からKAIGO LEADERSに出会った8月中旬までの出来事を振り返りたいと思います。

 

僕は昨年の12月初めより、転職を機に地元岡山を離れ、都会の福岡へと引越して来ました。

福岡に引っ越した理由は、大学が下関で福岡にはボランティアなどで親しみのある地で、

1度住んでみたいと憧れの場所であったことと、

大学4年生の時から志したコーチング」というビジネスをしたかったからです。

 

コーチング」とはなんぞや?という方もいると思うので少し説明すると、

コーチとクライアントのマンツーマンで行い、クライアントと対話しながら、クライアントの目標達成をサポートする、人生サポートのような仕事です。

 

2021年の始めは、福岡に引っ越して介護士として働きながら、

コーチングの師匠のお仕事のお手伝いも同時並行で行い、コーチングを始める前の下積み経験を積んでいました。

 

そして、6月頃にそろそろ1人で自立して「コーチング」を始める決心がつき、コーチングを教われる企業のビジネス講座を受講。

7月にはコーチングをスタートしました。

 

大学生の頃からコーチングを始めて人の人生をサポートする」ことが1つの夢だったので、

始めた当初はとても嬉しい気持ちでした。

 

チャレンジ期間中は、お休み返上。毎日にように行動し、体験セッションの練習や集客を必死になって行いました。

2時間の体験セッションの1日に3回も講座の同期と練習する日や、

2日連続3時間を超える体験セッションを行う日もありました。

しかし、必死の努力も虚しくビジネス講座のチャレンジ期間中に6人の方に体験セッションを受講してもらうも、

1人も本セッションの契約を獲得できずに終了。大きな挫折を味わいました。

 

講座終了後もコーチングを続けるという選択肢もあったのですが、

本業の介護士と両立しながら、仕事終わりの合間やお休みを潰してコーチングを副業として続けていくのは、自分の想像をはるかに超える体力的にも精神的にも厳しいことでした。

 

また、コーチングの体験セッションを提供していく中で、コーチングを心から楽しんでできていない自分もいました。

コーチングを始める前は、コーチングを通じて人の人生をサポートしながら、仲間を作り教育法人を立てる!」という大きな目標もありましたが、自分が頑張ってチャレンジしていく中で、その想いは少しづつ燃え尽きていきました。

 

そして気づきました!

自分のコーチングをする」「教育法人を立てる!」という目標は、

本当にやりたいんじゃなくて、「他人から認められたい!」「自分を大きく見せたい!」というような、背伸びして見栄を張りたかった気持ちがあったからだと。

 

講座受講後の8月中旬、僕はコーチングを辞めることにしました。

そして、本業の介護1本で今後は進んでいくことを決めました。

 

コーチングの夢がここで燃え尽き、コーチングの師匠とも別れ、ほぼ毎日何かしなければならないことに追われる日々に解放されたのは良いことでした。

 

ただ、時は8月も中旬、1年も前半が終わり折り返しに入っています。

ここまでチャレンジし続け心も体も疲れていたので、今年いっぱいはお仕事の本業の介護士だけして、ゆっくり落ち着こうかな?とも思いました。

 

しかし、チャレンジし続けたものの何の成果も出ず挫折してばかりの2021年。

このまま1年終わりたくないという思いの方が強かったです。

 

介護1本でこれから頑張っていくと決めたからには、今すぐにでも本業以外で何か介護業界に貢献したい!

そして、サ高住に預けたことで精神を病ませてしまい、昨年11月に亡くした祖父のような人を減らすためにも今すぐ行動したいと思いました。

 

コーチングに一区切りをつけてすぐに、僕はPCで介護のコミュニティやイベントを探す行動をしていました。

そこで出会ったのが、今は運営メンバーの一員として活動させて頂いている

介護系コミュニティ「KAIGO LEADERS」でした。

 

『2021年の振り返り【前編】』はここまでです。

 

今振り返ると、本当にコーチングで何も成果を上げられず苦しい1年でした。

でも、この1年の前半にたくさんチャレンジして苦しんだからこそ、

やりたい事を楽しくできている今があると思います!

 

それではこの続きは後日投稿の【後編】に続きます。

読んでいただきありがとうございました!

 

次回もお楽しみに( ^_^)/~~~